GPSで作る思い出
みなさんはポケモンGOをプレイしていますか?
今年の9月にサービスが開始されてから今なおアプリゲーム界のトップを走り、根強い人気を誇る「ポケモンGO」
引用https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/affairs/amp/160921/afr1609210018-a.html?client=safari
ご存知の方も多いとは思いますが、「ポケモンGO」はユーザーの位置情報を利用してポケモンを発見・捕獲するゲームです。
ポケモンが出現する場所は決まっているので、同じ場所に大勢の人が集まってしまうなんてことで、社会問題にもなったりしましたね。
会社帰りに渋谷の喫煙所付近で人が集まっているなと思ったら、
どうやらレアポケモンが出てくる場所だ、なんてこと日常茶飯事。
プレイヤーみんながマナーを守ってプレイしてくれたらと思う反面
「ポケモンGO」 には人を魅了する力や誘導力があるのだと思います。
さて今回取り上げたいのは「ポケモンGO」でも使われている、AR(拡張現実)についてです。
よく、ARと並べ、語られるのがVR(仮想現実)ですが、みなさんはこの二つの違いをご存知ですか?
簡単に言うと
ARは現実世界に仮想世界を足す技術
出典:http://standards.ieee.org/innovate/ar/
VRは仮想世界を現実世界のように体感させる技術
「現実世界」とは私たちが生活している今この空間
仮想世界とはコンピューターで作られたデジタル空間などを指します。
先日気になるARを用いた、ロマンチックなサービスを見つけました。
出典:news.aol.jphttp://news.aol.jp/2016/09/18/spotmessage/
「Spot Message」は墓石専門石材店である「良心石材」が提供しているサービス名のですが、特定の場所にムービーなどを登録することで、家族や友人など親しい人に
「場所」を仲介してメッセージを送ることが出来るんです。
情報化が進んでいる現代では、「いま」の情報がやりとりされることが多くなってきていると思います。
その中で「Spot Message」は、ある場所に埋められた記憶が、他者が訪れる事で再生
されるというのが、いわば「過去」に寄り添うようなつくりになっているんです。
「今」の情報を扱う物が多いなか
このアプリは
ある場所にに埋められた記憶が
他者が訪れる事で再生されるていう機能
GPS機能をつかうアプリってたくさんあるけどそのなかでも
「Spot Messag」は「場所」の使い方が特殊なのかなと思います。
ポケモンGOだとステータスは異なるものの「同じ場所で、同じポケモン」が出ます。
Spot Messageは個人が特定の場所に赴き、そこで受け取るもの、思い浮かべるものは人それぞれ違っている…
これまでのゲームではなく
映画やアニメの舞台をめぐる「聖地巡礼」が近いのではないでしょうか。
もちろん
「場所」がカギとなっているこのサービスは、 動画とは違って、いつでもどこでも手軽に再生することは難しいですよね。
でも、これは『必要な不便さ』だと思っています。
実際に現地まで足を運ぶことで、データを残した人が見ていた景色が、時間を超えて共有できる。これまでとはちょっと違う、より鮮やかな「思い出」の保存の仕方なのではないでしょうか。
なんてことだ!ロマンチック!
さらに、この技術を応用すれば、物語の作り方も変わるかもしれないんじゃないかな?
デバイスを通して目の前でリアルタイムに繰り広げられる物語を眺めながら、
自分の足で物語を追いかけていく、なんて作品も作れそうです。
背景は現実世界。
登場人物は仮想世界。
ページをめくる代わりに、
「歩く」ってことですよ
古戦場なんかで実際にあった戦いをタブレットを通して
刀剣男子を眺めたり、
山中で事件発生!!ちっこい探偵の後ろについて一緒に推理!
なんてこともできたら面白そう!
出典:http://www.digi-capital.com/
これからどんなふうに世界が拡張していくのか
楽しみです!
以上です。
「Yasukuni」
最近、動画撮影用のカメラを買ってしまって
まだプレステVR買えてないのが悔しい。
優先順位つけるのって大変、、、
ゲームから広がる高齢者の可能性について〖高齢者ゲーム連載最終弾〗
またまた1週間ぶりとなります。
今回で高齢者ゲームに関する記事も第3弾目、今回でラストとさせていただきます。
本記事では、「ゲームから広がる高齢者の可能性」ついて考えてみたいと思います。いずれ来る高齢者としての自分を想像しながら、ぜひお付き合いください。
ゲームによって広がる高齢者のコミュニティ
高齢者は年々どんどん増えていますが、地方ではどんどん人口は減っており、都会でも他人との関わりはどんどん希薄になってきています。ひとつのマンションで他人へのあいさつが禁止になる、なんてうわさを耳にするぐらいです……
ゲームがあらゆる壁を越える!?
筆者も含めて、子供にとってのゲームは子供同士のつながりの重要な役割でした。筆者が子供の頃はゲームボーイアドバンスとゲームキューブが全盛期でしたので、通信ケーブルを持っているやつは人気ものだった記憶があります(笑)
(出典:Amazon CAPTCHA)
当時はオフラインのゲームが中心でしたので、友人の家に大人数で集まってゲームを楽しむというのは、わりとありふれた情景でした。
大人になってからはそういう風にリアルで大勢で、ということはなくなりましたが、その分オンラインでリアルも含めて多くの人と遊ぶようになりました。ボイスチャットでがっつり遊ぶこともあれば、ソーシャルゲームでデータ上だけの付き合いということもあります。
ネット上での他者との関わりは世代から度合いまで様々です。適切な付き合いさえしていれば、ゲームライフを豊かにしてくれることは間違いありません。
この広がりを高齢者にも取り入れられないでしょうか?
高齢者になってからの大きな不安のひとつに「寂しさ」があります。
友人や地域との関わりも年々減っていき、衰えによって自分からなにかしようという元気もなくなってきて、孤独になってしまいがちです。
そこで、体力もいらずに、遊びながら他者との関わりを広げてくれるものといったら、やはりゲームなのだと思います。
ゲームによって、孫との会話ができるなどの下の世代とのつながりや、ゲームを通じて全国のプレイヤーとのつながりを得ることで「寂しさ」は解消できるものだと思います。
しかしながら……
具体的にどうすればいいかは、とても難しいのです……!
前回の記事(ゲームのユニバーサルデザインについて考える〖高齢者ゲーム連載第2弾〗 - ツクリバ―「つくる」ためのヒントを―)で高齢者もやりやすいゲームについて考えましたが、もし万が一高齢者もやりやすいゲームが普及したとしても、結局それをプレイしようと思うのは、高齢者のやる気しだいなのです。高齢者が自ら、チャレンジする精神をもって臨む、それはゲームに限らずあらゆることで必要になってくるのではないでしょうか?
高齢者になっても、必要なこと
つい先日、こんな記事を目にしました。
覚えていますでしょうか?
この高齢者ゲームの第1弾でも冒頭に触れた、80歳のゲーマー加三清さんについての記事です。
加三:
人間っていうのはやっぱり、日々精進や。ゲームでもなんでもすべてのことで、死ぬまで精進せなあかんと思うな。
この記事では、加三さんのゲームをプレイし続けることも含めて、何歳になっても新しいことを始め、それに全力で取り組む姿勢がよく表れています。
筆者も含め、これから高齢者へと向かっていくすべての人に持っていてほしい心意気だと思います。こういった元気な高齢者であるために、その一端をゲームが担っていけるのならば、ゲームの可能性、また高齢者自身の可能性もまだまだ伸びしろがあるのだと感じさせられます。
最後に
加三さんの記事で、さらにもうひとつ興味深い一説がありました。
加三:
こっちがやってるのは基本的に、クリエイターちゅうんか、無から有を生むものが好きやねん。それと、人の真似は嫌やね。誰もやってへんことをしたい。そうやっていろんなことをやると、ゲームをやったときでも、自分の幅が広がると思うねん。
――なるほど。
加三:
ゲームの中に出てくる敵は、ほんまの敵とちゃうと思うねん。そしたらなんやと言うと、そのゲームを作った制作者との戦いや。
加三さん自身も、理髪店を営みながら写真やガラス細工など様々な作品を創作している創作者のひとりです。
創作物には、そのすべてにそれをつくる意味があります。創作者自身の心のなかにあるものを創作物というかたちで世に出す。それが創作者だと思います。
自らのつくった創作物の意味がそれを受容した誰かへと伝わり、それが新たな創作物を生むきっかけとなっていく。そんなサイクルが広がっていけば、今まで以上に世の中にもっともっと面白いものが増えることでしょう。
この3つの連載記事が、誰かの創作のきっかけとなってくれれば、これに勝る喜びはありません。ここまで、お読みいただきありがとうございました。
ゲームのユニバーサルデザインについて考える〖高齢者ゲーム連載第2弾〗
お待たせしました!
前回は、「高齢者にとって本当に楽しいゲームってなんだろう…?」という話をしました。
高齢者向けのゲームってなんだろう…?〖高齢者ゲーム連載第1弾〗 - ツクリバ―「つくる」ためのヒントを―
今回はより具体的に高齢者にとって楽しいゲームについて、『ゲームのユニバーサルデザイン』に考えていきたいと思います。
「からだ」と「こころ」のふたつのテーマから、私が日々ゲームをしてて思う高齢者ゲームの案をつづっていくつもりです。
まずは、高齢者の「からだ」に合わせたゲームから
人間は、年をとるにつれて身体はどんどん衰えていきます。
なかでもゲームをする上で欠かせないのが、「目」だと思います。
いわゆる「老眼」の症状を自覚するのは45歳ごろがピークだと言われていて、近くのものが見えにくくなってしまいます。また、ひどいときには肩こりや頭痛にまで発展してしまう、なかなかやっかいなものなのです…
ワンボタンで、高齢者も見やすいゲーム画面に!?
若者にとっては問題なくても、高齢者にとってはストレスになってしまう…
いままでゲームをやってこなかった層をはじめ、いままでゲームを楽しんでいたが高齢者になってしまった層にもつらい状況になってしまいます。
そんな状況を解決する具体的なポイントとしては
- 明度
- 色彩
- 情報のかたち
の3つが重要だと考えています。
例えば、スマホ用のアプリゲームの「Stone of Souls」というゲーム画面を例にしてみましょう。
まず、「明度」に関しては、当たり前ですが暗すぎると高齢者はよく見ることができません。この画面は、おそらくレンガ作りの部屋のなかだと思われますが、これでは高齢者はもとより若者も部屋の様子がわかりにくいでしょう。
しかし、暗くてもしっかりと明度差があるとはっきりと見ることができるんです!
この画面で言えば、暗い部屋のなかでも炎が目立って見えているでしょう。このように画面のデザイン時に明暗の差を考えてみると見やすさも変わってくると思います。
次に、「色彩」についてですが、人間は年を経るごとに色彩の認識がしづらくなっていきます。
具体的にいうと暖色の色は認識しやすく、寒色の色は認識しにくくなっています。
いまのプレイステーション4の画面なんて天敵ですね(笑)
(引用元:https://www.jp.playstation.com/blog/detail/252/20150312_ps4.html)
こういった人間の色彩感覚にも目を向けていると、あなたのデザインに対する目線も変わってくるかも…?
最後に「情報のかたち」ですが、これは簡単です。画面に表示されている情報が
文字情報なのか視覚情報なのか という点です。
文字で書いてあった方がわかりやすいのか、画像や映像で表現してあった方がわかりやすいのか、といった基準なのですが、端的に言いますと文字情報は脳を疲れさせます。視覚情報の方が直観的に脳へと情報を届けられることでしょう。しかし、必ずしも視覚情報だけがよいというわけではありません。その辺りのバランスも、創作する側の腕の見せどころといったところでしょうか。
以上となりますが、若者のうちは特に気にすることもなく、ストレスも感じないような点でも目を向けてみると高齢者にとってはとてもありがたい、といった視点だったと思います。
大切なのは、情報量のコントロールだと思います。
かといって、安易に演出を地味にすればいいというわけではありません。
高齢者が多く遊んでいると思われるパチンコやメダルゲームは演出はとても派手です。
派手だけれど、「なにをすればよいか」が簡潔に伝わるデザインが「ちょっと遊んでみようかな」「年をとった自分でもやれそうだな」と思ってくれるきっかけになるかもしれません。
こういった、いわば形式面、アクセシビリティの部分は取り入れやすく、結果にも結びつきやすいと思いますので、創作をする際にふと思い出して活かしていただければ需要者の層に幅できる…なんてことも起きるやもしれません(笑)
アクセシビリティに関しては、すべて英文の記事ですがIGDA(国際ゲーム開発者協会)のアクセシビリティ専門部会が詳しくまとめていますので、気になった方はぜひ。
Game accessibility guidelines | A straightforward reference for inclusive game design
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さて、次は高齢者の「こころ」に合わせたゲームとなります。
(引用元:https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/343/343467/)
上記は、角川アスキー総合研究所の『メディア・ライフスタイル調査2015』(調査協力者1万35人)の結果を基にしたグラフの一部です。
スマホやタブレットの普及によって、これらでできるアプリゲームは子供からお年寄りまでプレイされている結果となっていますが、携帯機や据え置き機の割合はいまだ年齢が高くなるほど減少傾向にあります。(もともとハード自体のシェアが減少傾向にあるというのもあるでしょうが…)
つまり、まだゲームは子供がやるもの、大人になってまでやるものではないものという認識が根づいていると言えるでしょう。
ゲームに対する偏見をどう砕くか
筆者が子供の頃はファミコンだけでなく、プレイステーションやゲームボーイなど様々なハードがリリースされていましたが、知識のない親からは関係なく「ピコピコ」と呼ばれ、当時は「ゲーム脳」なんて言葉も流行っていましたから、ゲーム自体をあまりよく思っていなかったようです。
ご家庭によって様々ではあったと思いますが、往々にしてゲームに対して偏見を持っている人が少なからずいた、そして今もいるというのが一般的な認識だと思われます。
高齢者にも親しみのあるテーマと題材を
やはりそうした偏見は、高齢者にとって理解できない、または親しみがなさすぎて理解の外側にある から生まれてしまうのではないでしょうか。ゲーム自体に対するものももちろんありますが、これはゲームというよりは機械自体への敬遠という可能性もあります。それは、操作性への不安だったりその機械が動く理屈がわからなかったりと、実際にやってみたり教えてもらえば解決する問題だと思います。
やっかいなのは、ゲームの内容についての知識がないという問題だと感じます。
現在のゲームの主要なジャンルはスポーツゲームを除けば、FPSなどのシューティングやアクションなど、ほとんどが現実とはリンクしていないフィクションな内容となっています。信長の野望やSim Cityなどのシミュレーションゲームは現実とリンクする側面は確かにありますが、それを知らない人がゲーム画面をぱっと見ただけで内容を理解するのはなかなか難しいです。
だからこそ、逆を言えば一目で自分が理解できる、知識があるものだとわかれば、高齢者も理解できないと決めつけずに、「自分にもわかりそう」「自分も知っているものだし、やってみようかな」となるのではないでしょうか。
ここで、私が推したいのは高齢者にも知っている世界観で、かつ現実へと接続できるゲームが高齢者にもプレイされやすいのではないか、ということです。
例えば、高齢者にも親しみのある時代劇を例にしてみるとします。時代ものはゲームでも信長の野望や戦国無双など題材としてはゲームにも採用されています。
『信長の野望・創造』ゲーム画面
(引用元:http://www.4gamer.net/games/215/G021583/20131212067/)
『戦国無双2 with 猛将伝 HD version』ゲーム画面
(引用元:
http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0106pcsg00233_00jm2exver01000000.html)
これらの画面を見たときに、知識がない高齢者はどう思うでしょうか…?
少なくとも、ふたつのゲームが同じ戦国時代を主軸とした世界観であることに気づける 人はなかなかいないでしょう。よしんば、画面に映る文字情報やキャラクターのデザインなどで戦国時代であることは気づけても、なぜ、こんなにも画面が違っているのかがわかる人など、おそらくはいないと思われます。
そして、なにより高齢者の知識のなかにある戦国時代というものを取り巻くイメージと、ゲームがかけ離れている点が問題なのです。
自分のなかにある現実と、ゲームの世界観が一致しない。これにより、理解ができないものとしてゲームが認識されてしまう…そういった危惧なのです。
ゲームはフィクションであるため、随所で現実とは異なるように内容が形づくられています。それはよりプレイヤーに楽しんでもらうためには当然のことで、ゲームに親しんでいる人ならば問題なく理解することができます。
しかし、そうではない高齢者にとっては現実とどこかでつながっている、そういったことがわからなければ意味がありません。
高齢者にとって親しみのある要素との接続が必要になってくるのです。上記の時代ものでいうのならば、高齢者に人気の時代劇ドラマとの接続なんかが良いかもしれません。
『暴れん坊将軍』とのコラボレーションで、慣れ親しんでいるドラマの構成をゲームに置き換え、そのうえでゲームとしての面白さを追求していく、なんて面白そうです(笑)
上記の例はいささか極端ではありましたが、
高齢者にとっても親しみのある要素と接続し、それがわかるように工夫されていることが重要なのです。
こういった風にその世代の高齢者の間で流行ったものなどを取り入れてみることで、より多くの高齢者の興味を引くことになりますし、ゲームをプレイする高齢者の間でも交流が生まれる、なんてことが起きるかもしれません。
さて、大きく分けて「からだ」と「こころ」とで高齢者ゲームの模索をしてきましたが、普段からゲームに親しんでいる皆さんにとっても面白い、便利だという要素はありましたでしょうか?
若い、年寄り関係なく便利で面白い要素を発見できれば、それは単純にゲーム自体の魅力にもつながってきます。
「高齢者にも目を向けてみる」という視点を取り入れることで、自らの創作のさらなるクオリティをアップさせる(かもしれない)、そんな風になれば幸いです。
次回は、第3弾として「ゲームから広がっていく高齢者の可能性」について考えてみたいと思います。ラスト1回、お付き合いいただけると幸いです。
次回もお楽しみに。
高齢者向けのゲームってなんだろう…?〖高齢者ゲーム連載第1弾〗
先日、ダークソウル2をプレイしている80歳のおじいちゃんゲーマーがMBSにて特集され、話題になったのをご存知でしょうか?
このおじいちゃんゲーマー、加山清さんは20年前からゲームを楽しむ筋金入りのゲーマーで購入したゲーム機は10台以上、ソフトも数えきれないほどだそうです。
「シルバーゲーマー」という言葉をご存知でしょうか?
シルバーゲーマーとは、「高齢者にも関わらずゲームが好きな人」
の事を指すらしい。
ゲームとは非常に体力がいる行為で、時には尋常じゃない集中力
を必要とすることもある。
芸能人の方でも高齢者のゲーマーが意外に多く、鈴木史郎さんをはじめ、多くの方がゲームを楽しんでいるように思えます。
突然ですが、高齢者向けのゲームというと、どんなものを想像しますか?
認知症予防のパズルゲームやWii Fitのような健康に気を遣った運動系のゲームが思い浮かびませんか?
そういった明らかに高齢者に向けたものがあるにも関わらず、加山さんや鈴木さんなどの高齢者ゲーマーが好んでいるのはそういったものではなく、ダークソウルシリーズやバイオハザードなどコアなゲーマー層向けのゲームを好んでいるようです。
では、高齢者が本当にやりやすく、楽しめるゲームってなんなのでしょうか?
上記の記事は、2016年の3月にアメリカで行われた、ゲームクリエイターの技術交流を目的とした世界規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2016でのひとつの講演をまとめたものです。
高齢者を❝50歳以上❞としたうえで、ゲーマーのうち高齢者の割合がこれから増えていくなかで、高齢者がより楽しめるためにはどうすべきか?の研究が語られています。
この記事で言われている高齢者ゲームと世に多くある高齢者ゲームの違いは
ゲームをプレイする動機が、ゲーム自体にあるかどうか
にあると思います。
世にある高齢者ゲームは、「認知症予防」であったり「家族とのふれあい」であったりとゲームをプレイする目的がゲームとは別に存在します。
対して、この記事で取り上げる、そして私も考えているあるべき高齢者ゲームとは、ゲームをプレイすることの目的をゲームを楽しむことに置いている。もちろん、認知症予防や家族との触れ合いも大事な要素ですが、それらはまず高齢者自身がゲームを楽しみながら、その副産物としてあるべきだと思うのです。
これからの高齢者ゲームは
- 高齢者自身が自らの趣味として楽しめるもの
- ゲーム自体が高齢者でもやりやすいもの
こういったものが主体になってくれば、高齢者になっても気軽にゲームをやり続けることができる、鈴木史郎さんのお言葉を借りるなら
「定年後の素晴らしいプレジャー(宝物)であり、プレゼント」
になっていくでしょう。
それじゃあ具体的にどうすんの?といったところは次回、第2弾でお届けできればと思います。お楽しみにお待ちくだされば幸いです。
プロットもいいけど、「ストーリー」を組もう。
さて、筆を執るのも二回目になりました。池田です。前回お話しした通り、「プロット」の話をしていくつもり。お付き合いください。
続きを読むまた、みんなで遊ぶゲームが恋しくなってこない?
この画像に注目していただきたい!
ここ10年間でのゲーム市場規模の推移を示したグラフです。
アプリゲームなどの台頭によって家庭用ハード、ソフトが減少しているのがわかります。
(集計期間: 2016年10月3日~2016年10月9日)
ファミ通.comの今週のゲームタイトル販売本数ランキングをまとめたものですが、
据え置き機ではPS3、4がほとんど、小型機では3DSのタイトルが並ぶばかりになっています。
これらから、筆者がなにを言いたいのかというと……
いま、人気のあるほぼすべてのタイトルが、
“ひとり”でのプレイを前提に置いているのではないか?
ということなのです。
対戦格闘やFPS、TPSなど、複数人プレイを想定したゲームはありますし、アプリゲームでも、対戦やギルドなどの協力プレイができるものは確かにあるのです。
しかし、ふと思うと
ゲームはグラフィックの進化やボリュームの向上もあいまって、
ひとりでじっくりとやるものになってきているようにも思います。
筆者が子供の頃(2000年代初め)は、据え置き機といえばみんなで集まってわいわい盛り上がるためのものでした。ハードを持っている友達の家にコントローラとソフトを持ってつどい、日が暮れるまで遊び倒したのはいい思い出です。
ひとりで、じっくりとやりこむゲームももちろん楽しいのですが、
たまには、みんなでわいわい盛り上がるゲームもやりたいな……
そんなノスタルジーに駆られたユーザーたちにおすすめしたいゲームがあります。
“ゲーム”と称しながら、上記のようなゲームたちとは違う道を歩む存在……
それは……
です!!
1か月ほど前に、REDBULL.jpのゲーム記事の欄にふらっと掲載された記事なのですが、
いつもはビデオゲームに関する記事が多くあげられるREDBULL.jpで、この記事はなかなかに目立っていました。
この記事では、記者が彼のもとに集まってくる友人と楽しく遊べる手段としてボードゲームと出会い、ハマっていく様が書かれている。
ボードゲームには大人数はもとより、2人からでも楽しめるゲームもあり、
集まったみんなが楽しむためににどのゲームを選ぶか、という楽しみもあるのです。
まあ、そのぶん記事にもある通り、「集まるメンバーとの時間調整、場所の確保など、ゲームを始めるまでが何かと手間がかかる」という難点もあります。ですが、「この手間すらもボードゲームの楽しさだ」としています。
ゲームを選ぶところから、すでにボードゲームは始まっているのかもしれません。
こんな記事もありました。
この記事では、おおよそボードゲームをやりそうにない「いまどき女子」たち(詳しくは上記の記事からどうぞ)が“ボドゲ女子会”と称してボードゲームを楽しむ様子がレポートされています。
ボードゲームはビデオゲームに求められがちな操作技術が求められることがないので、初心者や女性でも気軽に楽しむことができます。
記事内にもある通り、お酒やお菓子を片手にボードゲームを楽しむイベントを友人と企画してみてもおもしろそうです。
普段は冴えなくても、ボードゲームとなると目の色が変わる…なんて男性はポイントが高いのではないでしょうか。
ボードゲームを紹介しているサイトはとても多いので、ちらっと覗いてみては。
とはいえ「やってみたい…けど、おもしろいゲームがどれかわからないし、そんなにたくさん買うほど余裕がないよ……」なんて方もいるはず。
そんなユーザーのための場所も紹介したいと思います。
この「アソビCafe」は、カフェとしてドリンクとフードを楽しみながら、お店に置いてあるボードゲームが遊び放題なスペースなのです。
いきなりゲームを購入するのに尻込みしてしまっても、試しにここに訪れておもしろそうなゲームを遊んでみるのもありですね。なにより、ひとりで行っても大丈夫ですから心強い。
まとめにはいりますが、
ビデオゲームとボードゲームでは、求められているものが変わってきます。
同じような構造をしていても、それぞれに表されるかたちも印象も違ってくると思います。
例:アドベンチャーゲームのタイトルである「ダンガンロンパ」の世界観やゲームシステムを踏襲したアナログゲームがリリースされています。
ダンガンロンパ1・2 超高校級の人狼 特設サイト[ALGERNON PRODUCT]
※それぞれのゲームのリンクを貼っておきます。
ひとりでじっくり遊ぶには、ビデオゲームの方がよいですがその世界観を共有しながらみんなで楽しむ、といったビデオゲームではできない楽しみ方もできるのがボードゲームの魅力といえるでしょう。
「みんなで、ボードゲームやらない?」
友人と集まるためのきっかけとして、活用してみてはどうでしょうか。
この記事を読んでいただけた方のゲームライフのなかに、新たな選択肢を増やすことができたらうれしいです。
筆者も、若輩ながらボードゲーム制作をしています。なにかの機会に紹介できたらと思います。
ちなみに、筆者のおすすめは「Family Business」です。
禁酒法時代のアメリカを舞台に、ギャングたちの抗争を生き抜くゲームとなっているのですが、
友人らと遊んだ際、ゲームを楽しみながら、プレイヤー支配下のギャングたちそれぞれに 「こいつはボスだから殺さないで!」とか「こいつとこいつは仲悪いからww」といった設定を 勝手につけて盛り上がりました(笑)
用意された遊び方にプラスして自分たちの楽しみ方を取り入れられるのもボードゲームの魅力 ですよね。
新しい伝統的民族衣装
暦は10月も半ばにさしかかり、徐々に寒さがまして
秋らしい雰囲気になってきていますね。
映像制作が好きな僕はこの季節になると
俄然、創作意欲が湧いてくるんですよ。
京都なんて作品の舞台として最高。
芸者さんと小説家の儚い時間を描き出す話なんて考えた日にはもう!ね!
綺麗な風景にはやっぱり、雅な女性が映えますね〜。
着物と紅葉のバランスが噛み合った
カタワレ時なんて幻想の世界の極みです。
引用:https://kyotokimono-rental.com/column/history.html
私ごとですが、着物の女性、大好きなんです。
そんな私がネットサーフィンをしている時とある気になる記事を発見しました。
な、なんぞこれ?
和風な模様のアバヤ?!
このオリエンタリズムの結晶のような
作品はなんだ?!
☆ここで基礎知識のお勉強☆
イスラム圏の国々の女性が身につける伝統民族衣装についてご紹介します。
引用:http://www.aabcollection.com/
アバヤというのは
イスラム教徒の女性が近親者以外に体を隠すため、外出時に手と目以外の全身を覆う民族衣装です。
日本では一般的に黒単色なイメージですが
最近ではカラフルなアバヤも出てきているらしいです。
引用:http://www.hijabiworld.com/
イスラム圏の女性が髪を隠すためのモノです。
髪も近親者以外に見せるのはよくないとされています。
イスラム圏の女性は宗教的理由で体の線を出す事は男性を惑わすのでよくないとされ、全身を覆う民族衣装が考案され今に至ります。
それ以外にも中東は日中の日差しが非常に強く、夜は気温が極端に低くなり、
日中は肌を出すと焼けてしまうのでそれを防ぎ、夜は体温を逃がさない役割もあります。
全身を覆ったからといって暑くないよう通気性もしっかり確保されているので、昼夜問わず機能性に優れた服なのでございます。
そして本題ですが、
今回注目したいのが、先ほどの記事
「着物関連の企業がイスラム市場を開拓。」
イスラム教徒は世界に約16億人いるといわれていて、
女性の人数は単純に考えて約8億人いると推測できますね。
そのマーケット規模は巨大でファッション関連の企業が開拓していくのは当然の流れです。有名ブランドのユニクロも頑張っています。
世界的有名ブランド・DOLCE&GABBANAがイスラム教徒女性向けのファッションを発表して話題を集めています。 - Spotlight (スポットライト)
しかし、僕が今回注目したいのが
「日本の伝統的民族衣装をイスラムの伝統的民族衣装に作り変える会社がある」
これってすごくないですか?
古くなった着物を仕立て直すのではなく、
他文化の民族衣装に作り変えてしまう。
これは着物の企業がアバヤを作り始めたよ、
じゃないんです。
着物を仕立て直してアバヤにしてるんです。
古い服→リサイクル→新しい服
から
古い民族衣装→文化を超えてリサイクル→新しい民族衣装
この構造でこれまでなかった美しいの価値観を作り出す。
一般的なアバヤが日本円換算で高くて約1万円代に対して
着物柄のアバヤは非常に高価で5~10万円するそうなんですよ。
普通に高級品。それでも売れているらしいです。
新しい価値だけでなく、美しいに対する
女性の価値観の普遍性の新たな発見なんかもあるかもしれませんね。
でもじつは、この現象って大昔はあったんです。古代ではシルクロードなどの貿易路が
多くの国々を通過しながら、たくさんの人々の手に渡っていた事によって変化を生じさせていた。現代では工場から消費者まで一直線で、なかなか起こりにくくなってしまっています。
引用:http://www.silkroad-museum.jp
「創作」や「クリエイト」というと
全く新しいモノを生み出したり、
既にある物を全く別の物に作り変える
発明のようでハードルが高いと考えてる方も
いるかもしれません。
じつはもっと単純で
既存の価値が文化を超えるだけで
新しい価値を生む。
既存の作品の足し算だけで、
世界に新しいを提案できてしまうんですよ
これは面白い!
これから日本でも地球温暖化の影響で徐々に気温が上がっていくといわれてます。
逆に中東の暑さに強いアバヤ、ヒジャブなんかが
日本でオシャレとして流行っていく可能性は十分にあるわけですね。
何が言いたいかと言うと
美しい民族衣装は世界中の女性を美しくする!
という事です。
民族衣装を着ている
かわいい女の子がでてくる作品(例えるなら、
ヘタリアの女の子バージョン)
がもっとふえたら個人的に嬉しいですね。
是非皆さんも
「これとこれ足したら最強じゃね?」
を探してみてください。
「Yasukuni」
映画と政治史大好き髭おじさん。最近だと『スーサイド・スクワッド』『君の名は。』『シン・ゴジラ』は観ました。
短編ですけど映画も書いたり撮ったり編集したりしてます。