ゲームから広がる高齢者の可能性について〖高齢者ゲーム連載最終弾〗
またまた1週間ぶりとなります。
今回で高齢者ゲームに関する記事も第3弾目、今回でラストとさせていただきます。
本記事では、「ゲームから広がる高齢者の可能性」ついて考えてみたいと思います。いずれ来る高齢者としての自分を想像しながら、ぜひお付き合いください。
ゲームによって広がる高齢者のコミュニティ
高齢者は年々どんどん増えていますが、地方ではどんどん人口は減っており、都会でも他人との関わりはどんどん希薄になってきています。ひとつのマンションで他人へのあいさつが禁止になる、なんてうわさを耳にするぐらいです……
ゲームがあらゆる壁を越える!?
筆者も含めて、子供にとってのゲームは子供同士のつながりの重要な役割でした。筆者が子供の頃はゲームボーイアドバンスとゲームキューブが全盛期でしたので、通信ケーブルを持っているやつは人気ものだった記憶があります(笑)
(出典:Amazon CAPTCHA)
当時はオフラインのゲームが中心でしたので、友人の家に大人数で集まってゲームを楽しむというのは、わりとありふれた情景でした。
大人になってからはそういう風にリアルで大勢で、ということはなくなりましたが、その分オンラインでリアルも含めて多くの人と遊ぶようになりました。ボイスチャットでがっつり遊ぶこともあれば、ソーシャルゲームでデータ上だけの付き合いということもあります。
ネット上での他者との関わりは世代から度合いまで様々です。適切な付き合いさえしていれば、ゲームライフを豊かにしてくれることは間違いありません。
この広がりを高齢者にも取り入れられないでしょうか?
高齢者になってからの大きな不安のひとつに「寂しさ」があります。
友人や地域との関わりも年々減っていき、衰えによって自分からなにかしようという元気もなくなってきて、孤独になってしまいがちです。
そこで、体力もいらずに、遊びながら他者との関わりを広げてくれるものといったら、やはりゲームなのだと思います。
ゲームによって、孫との会話ができるなどの下の世代とのつながりや、ゲームを通じて全国のプレイヤーとのつながりを得ることで「寂しさ」は解消できるものだと思います。
しかしながら……
具体的にどうすればいいかは、とても難しいのです……!
前回の記事(ゲームのユニバーサルデザインについて考える〖高齢者ゲーム連載第2弾〗 - ツクリバ―「つくる」ためのヒントを―)で高齢者もやりやすいゲームについて考えましたが、もし万が一高齢者もやりやすいゲームが普及したとしても、結局それをプレイしようと思うのは、高齢者のやる気しだいなのです。高齢者が自ら、チャレンジする精神をもって臨む、それはゲームに限らずあらゆることで必要になってくるのではないでしょうか?
高齢者になっても、必要なこと
つい先日、こんな記事を目にしました。
覚えていますでしょうか?
この高齢者ゲームの第1弾でも冒頭に触れた、80歳のゲーマー加三清さんについての記事です。
加三:
人間っていうのはやっぱり、日々精進や。ゲームでもなんでもすべてのことで、死ぬまで精進せなあかんと思うな。
この記事では、加三さんのゲームをプレイし続けることも含めて、何歳になっても新しいことを始め、それに全力で取り組む姿勢がよく表れています。
筆者も含め、これから高齢者へと向かっていくすべての人に持っていてほしい心意気だと思います。こういった元気な高齢者であるために、その一端をゲームが担っていけるのならば、ゲームの可能性、また高齢者自身の可能性もまだまだ伸びしろがあるのだと感じさせられます。
最後に
加三さんの記事で、さらにもうひとつ興味深い一説がありました。
加三:
こっちがやってるのは基本的に、クリエイターちゅうんか、無から有を生むものが好きやねん。それと、人の真似は嫌やね。誰もやってへんことをしたい。そうやっていろんなことをやると、ゲームをやったときでも、自分の幅が広がると思うねん。
――なるほど。
加三:
ゲームの中に出てくる敵は、ほんまの敵とちゃうと思うねん。そしたらなんやと言うと、そのゲームを作った制作者との戦いや。
加三さん自身も、理髪店を営みながら写真やガラス細工など様々な作品を創作している創作者のひとりです。
創作物には、そのすべてにそれをつくる意味があります。創作者自身の心のなかにあるものを創作物というかたちで世に出す。それが創作者だと思います。
自らのつくった創作物の意味がそれを受容した誰かへと伝わり、それが新たな創作物を生むきっかけとなっていく。そんなサイクルが広がっていけば、今まで以上に世の中にもっともっと面白いものが増えることでしょう。
この3つの連載記事が、誰かの創作のきっかけとなってくれれば、これに勝る喜びはありません。ここまで、お読みいただきありがとうございました。